【The Devil wears Prada】プラダを着た悪魔に見るアメリカあるある【説明が足りてない】

「プラダ着た悪魔」はNYを舞台に、ジャーナリストを志す主人公アンディが希望に反してファッション紙「ランウェイ」に就職し、アシスタントとして奮闘・成長する姿を描いた名作です。

まだ見ていないという方はぜひアマプラやNetflixで一度は見てみてください。

このページではネタバレは避け、みた人だけがわかる「1シーン」に見るアメリカあるあるを紹介します。

ちなみに、Amazon Primeによるあらすじはこちら⬇️

(前略)オシャレに興味のない彼女が、世界中の女性が憧れる仕事を手にしてしまった!それは一流ファッション誌“RUNWAY”のカリスマ編集長ミランダのアシスタント。しかし、それは何人もの犠牲者を出してきた恐怖のポストだった!悪魔的にハイレベルな要求と鳴り続けるケイタイ、「センス、ゼロ!!」と酷評され、私生活はめちゃめちゃ。(後略)

Prime Video プラダを着た悪魔 (字幕版) より

アンディが初めて「Book」をミランダ宅に届けるシーン

ランウェイでの仕事に初めは苦戦していたアンディですが、徐々に仕事をこなせる様になっていきます。

ある日、ついに “第二アシスタント”としての存在を認められ、「Book」と呼ばれる雑誌のドラフトを編集長のミランダの自宅に届ける役目を任されます。

それまでは第一アシスタントのエミリーがBookを届けていました。

ミランダに認められたと喜び浮かれるアンディに対し、エミリーは深刻そうな表情で仕事の要点と注意点を伝えます。

与えられた仕事は二つ。

  • ドライクリーニングされたミランダの服を、クローゼットにしまう
  • 「Book」を花が飾られているテーブルに置く

一見、難しそうには見えない指示なのですが、アンディはとんでもなミスをしでかし、窮地に立たされます。

さて、アメリカに来るまで、このシーンを見るたびに、

『これはアンディのピンチをつくるための過剰な演出。まぁ映画だしな。』

と思っていました。

しかし、アメリカで生活を続けるに従って、

これはアメリカあるあるのでは?

といういう感想を持つに至りました。

エミリーの指示は「適当すぎる」ようにも見えるけど…

「透明人間になったつもりで、ただ仕事だけして帰る。家の中では何も見ちゃダメ、誰とも話しちゃダメ。」

第一アシスタントのエミリーは、プライバシーに厳しいミランダ宅でアンディがヘマをしないよう、このような厳重注意をします。

しかし、初めてミランダ宅に行ったアンディは、ミランダの洋服をしまうクローゼットがどこにあるのかわからず戸惑い、さらに、花の置いてあるテーブルもたくさんあったせいで、混乱します。

初めて見たときは、

いやいや、説明、普通に足りなくね?

花が置いてあるテーブルはたくさんあるとか、クローゼットは入り口のドアのすぐ横だとか、ちょっと言いさえすれば失敗しなかったかもしれないのに?と思っていましたが、

しかし、アメリカで生活していると

「あーこの感じ〜〜〜(あるある)。」

となります。想定される範囲や説明がそんなりかっちりしていない。言ってしまえば

適当

なのです。

「その説明でよくわかってもらえると思ったな?!」という様なアバウトな地図や説明を見聞きすることが多々あります。

それにしても、アンディのこの後の行動はやや理解できない部分もあります。エミリーが「絶対しないで」という様なことをしでかすので、それはやはり映画ならではの「演出」なのだと思います。

この後のピンチをアンディがどうやって切り抜けるかは、是非映画でご覧ください。

しかし「なぜ、そんなにもきっちりしていないのか?」を考えていくと「むしろきっちりしすぎな日本すごい」という気持ちにもなります。

他人への期待値を下げると楽になるかも?

アメリカで暮らしていると、日本での生活と比較しては「何ていい加減なんだ…」と思う場面にしばしば出会います。

例えば、郵便物がきちんと届かなかったり、注文したものが微妙に間違っていたり、仕事で業者に連絡してもなかなか返事が来なかったり、などなど。

あまりにもキチンとしていなさすぎて、

「正気か?」

と思うことはしばしばありますが、それこそが文化の差なのでしょう。

日本人はもしかしたら、

相手に期待しすぎ

なのかもしれません。

アメリカはあまりにも広いので、一地域の経験で全て一括りでまとめるのはかなり乱暴ですが、ここでは「プラダを着た悪魔」の舞台になっているNYと同じ東海岸の都市部で経験したことをベースに自分が感じた印象を紹介します。

アメリカの多くの都市では、少なくとも日本よりもずっと人種のバラエティーがあり、外国人も多い、つまり、様々なバックグランドを持つ人々が一緒に暮らしています。

そうなると「共通の常識」を求めるのは難しくなります。

日本で日本人として暮らしていると、なんとなく「日本人としての最低限の常識」に監視されている気がします。

「空気を読む」という言葉に代表されるような「暗黙のルール」を全員が持っているので、

自然と他人にも自分と同じ様に「一定水準以上のことができる」と期待してしまう

ものです。

「してはいけないこと」や「できないこと(なんでできないの?)」という形で「プレッシャー」が生まれます。

しかし、そういう暗黙のルールがない場合、

「他人にたくさん期待してもしょうがない」
「私の想像や期待はあくまで「私の想像や期待」でしかなく、他人とは共有されていない」

という風になります。というより、ならざるを得ません。

アメリカに住むときにはそういう覚悟が必要です

なので、説明されなかったことはできないし、相手の想像する範囲を測り間違えれば「思いも寄らないミス」が起こりうるものです。

そういうわけで、エミリーはやや説明不足に思えますが「絶対にしてはいけないこと」だけは伝えているので、

「花の飾ってあるテーブルがたくさんあるからどれのことなのかわからなくて混乱する」可能性

に思い至らないことなど、もう全然、仕方がないことの様に思えます。

ちなみにこれは「どうでもいい」から放置しているとか、「失敗させたろ」と思ってやっているとは到底思えません(そういう人もいるのかも知れませんが)。

あくまで「めんどくさいし、まぁいいか」「なんとかなるっしょ」という様な楽観主義に基づく「細部を気にしすぎない」ムードを感じます。

もちろん、性格や仕事への責任感は人によって違うので、とても丁寧に教えてくれる人もいます。

とはいえ、全体的に、日本人であると「同調圧力によってきっちりしすぎを求められがち」なような気がしました。

とにかく良いぞ!「プラダを着た悪魔」

この映画は、軽快なテンポや小気味良いストーリー展開、女優陣の眩いファッションの美しさが光り、何度でもみたくなる映画です。

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